人と違うことは別に素晴らしくない
わからないことはたくさんあるけど、多くの人が本能的に理解していそうだけど、私にはわからないということが2つある。それは
- 懐かしいと思うこと
- 関係ない人が事故や事件で亡くなった時にその亡くなった人に対して同情すること
この2つが私にはわからない。
1つ目について
ファイナルファンタジー7のリメイクがもうすぐ発売されるらしい。 トレーラー映像はとても綺麗で昔プレイしていた人たちが懐かしがっていたのをみた。
また数年ぶりにSOS団の全員が集合してライブに出たらしくそのことをとても嬉しがっている人も見た。
ファイナルファンタジー7も涼宮ハルヒのアニメもリアルタイムで中学生や20代前半の体験した。若い頃の経験と言っていいだろう。
感受性豊かな年代に経験したコンテンツというものはなつかしの番組なんてものがテレビでやるのだから 多くの人が懐かしがるものだろう。
しかし私はそういったものを見ても懐かしいと思ったり、その当時のことを思い出したりすることがない。
ファイナルファンタジー7についてはプレイしたので大体の大筋はおぼえているし、 涼宮ハルヒの憂鬱についてもアニメを視聴し原作も読んだのでどういった話があったかはおぼえている。
しかし、内容はおぼえているのに経験したという感覚がないのだ。
また、面白いからプレイしたり視聴したりしたはずだがその時の感情というものを思い出せない。
情報そのものをオーバーテクノロジーで頭の中に流し込まれた。
と言われても納得しそうになるくらいだ。
自身が経験し、最近話題になったコンテンツについてのみ書いたが、他のものでも変わらず、今に始まったことでないのでずっと疑問に思っている。
2つ目について
こちらについては具体的な事例については書かないが世間で話題になった事件や災害の被害者に多量に献花があったり、加害者に対して厳罰を求める声なんかを聞くと
「なんで死んでから生きていたことを知ったような人に対してそんな気持ちをもてるのだろう。」
と思ってしまう。
上記のことを母親に聞いたら
「みんなでそういった気持ちを共有したいんでしょ」
のようなことを言われたのだがその言われたことも理解できなかった。
こんなことかいたら中二病とか言われそうだが中二病だったら母親には聞いたりしないと思うので中二病ではないはずだ。
その結果どうなったか
この二つが原因かはわからないが人間関係が希薄だ。 幼稚園入園前に今住んでいるところに引っ越してから一度も引っ越しをしてないがずっと付き合っているという人は一人もいない。
また学校や職場が変わるたびに人間関係はリセットされている。つまりそこに所属していた時は仲良くしていても所属が外れたら一切の関係がなくなっている。
今更再び関係を持とうなんて思わないし、また関係が切れないようにしようと思うこともあるが無理だということは直近の経験で理解している。
なんでこんなこと書いたのか
書きたかったから
人と違う事は素晴らしいということをよく聞く。それは特別な才能を持って普通では達成できない偉業を達成した人たちを見ていたらそう思うだろう。
違うことは素晴らしい、個性だと言える人はそういったポジティブな面しか見ていないのだろう。
しかしネガティブな方向に人と違うことだってある。ここで書いた2つの事はネガティブな方向だと思っている。
たとえば皆が悲しんでいるところで
「今まで生きていることを知らなかった人が死んで何が悲しいの?」
なんて聞いたらフルボッコの上ネットに晒されムラハチにされて家の壁に落書きされるだろう。どうなるかは分かっているので聞くことないが。
人が死んだら悲しいから葬儀などの場に呼ばれたら悲しみを持っているように振る舞う、慰霊の場では悪ふざけしない、たくさん人が死んだり悲惨な事件が起こった時はどこに地雷があるかわからないから言及を避ける、など知識によってそれっぽく振る舞ったりはできるのでそういった場で致命的な間違いを犯すことはないと思う。
ただ
- 懐かしいと思うこと
- 関係ない人が事故や事件で亡くなった時にその亡くなった人に対して同情すること
これがなぜできないのかが知りたい。