書くことがない
書くことがないから書くことがないことを書いている。
昨日は書いておきたいと思ったことがあった気がしたが特にメモとかをとっていなかったので書きたいと思っていたことを忘れている。
喫茶店の大きいテーブルを他の席が空いているのに使ったがものを広げるには便利だと思った。しかし空いていたらいいが混んでいたら落ち着かないなとも思った。
ショッピングモール併設の電気屋へ入ったらカメラコーナがー小さすぎて目当てのものをいじれなかった。カメラが売れないというのは事実なんだなと思った。
大きめのスーパーは食料品を買う時はレジ袋が有料だけど、雑貨を買ったら無料なのはすごく謎だ。服などのかさがあるものならショッピングバッグに入らないからサービスとしてつけるのはわかるが、文具などはかさも重さも食料品と変わらない。
減量のためにカロリーを記録し、1日の摂取カロリーを制限しているが順調に体重が減っていて嬉しい反面怖い。ストレス解消のための過食をしないように食べること以外の解消法を見つけたい。
書くことないと思ってたけど以外と書けた。
東京メトロ24時間券
6月28日、東京メトロで目的地の前に寄る場所があったので金額を計算したところメトロ24時間券を買った方が安かったので久しぶりに利用した。
これは名前の通り1日でなく24時間使えるので午後に入場した場合、次の日の午前中もつかえる。
なのでこれを書いている6月29日に24時間券を使ってメトロに乗っている。
メトロを使えば23区内なら大体のところへ行けるので少しでも安かったら積極的に使っていきたい。
低気圧で体調が悪くなる
低気圧で体調が悪くなる
昨日はとても体調が悪かった。悪すぎて何も出来ず一日中寝ていた。
原因について考えてみたが、ここ数日の天候からくる睡眠時間の短さが一気にきたようだ。
ではなぜ昨日一気にきたのかと考えたがこれは低気圧のせいとしかおもえない。
低気圧による体調不良はNHKでも特集されるくらいメジャーなもののようだが私にとっては無縁だと思っていた。
体調のほころびが低気圧によって一気にきているようなので、今まで平気だったのはそこまでほころびがなかったか、あったとしてもうまく回復できていたからだろう。
気圧は自分ではどうにも出来ないが日々の体調についてはケアできるのでうまくケアしていきたい。
グラグラするテーブル
最近勉強をしている。家でやるなのだろうがやる気にならないのでカフェに行ってしている。
特に決まった店があるわけではなく、気分で同じチェーン店の違う店舗に行っている。
そこで気付いたのだが、最近のテーブルは小さい。
飲食店で提供する商品コーヒーとちょっとした食べ物なのだから、それを考えればそこまでの大きさは必要ないがノートと参考書を同時に開くのに苦労するのは小さい。
また、テーブルのメンテナンスが悪いのかグラグラする物に当たることもある。 グラグラテーブルに当たるととても損した気持ちになる。
サイズについては我慢するがグラグラは改善してほしい。
コンビニの割引商品
基本的に値引きのないコンビニでも商品の入れ替えのためという名目でお菓子や生活雑貨なのが割引されていることがある。
そこまで詳しく比較したことがないので、恒常的に安売りをしているドラッグストアやスーパーマーケットに比べて安いのかはわからない。
こういった安売りされるものは、コンビニ以外でも買えるものだけと思っていたがコンビニ以外で売られてるを見たことないものの安売りをこの前見た。
1番くじだ。
1番くじは初日に大人が財力にモノを言わせて買い占め、そのあとに買いに来ていた一生懸命お小遣いを貯めていた子供を泣かせるイメージを持っていた。 つまり、安売りして在庫整理するくらい残っているは思っていなかったので驚いた。
また、別のところではくじの景品の残りを定価の半額で売られているのも見たことがある。
また、直接の割引ではないがお菓子を買うとクリアファイルがもらえるキャンペーンでお菓子を買ったら最終日なので規定の枚数より多くとってもいいですよといわれたこともあった。
こんなことが立て続けにあったのでコンビニの割引商品をチェックするようになった。
人と違うことは別に素晴らしくない
わからないことはたくさんあるけど、多くの人が本能的に理解していそうだけど、私にはわからないということが2つある。それは
- 懐かしいと思うこと
- 関係ない人が事故や事件で亡くなった時にその亡くなった人に対して同情すること
この2つが私にはわからない。
1つ目について
ファイナルファンタジー7のリメイクがもうすぐ発売されるらしい。 トレーラー映像はとても綺麗で昔プレイしていた人たちが懐かしがっていたのをみた。
また数年ぶりにSOS団の全員が集合してライブに出たらしくそのことをとても嬉しがっている人も見た。
ファイナルファンタジー7も涼宮ハルヒのアニメもリアルタイムで中学生や20代前半の体験した。若い頃の経験と言っていいだろう。
感受性豊かな年代に経験したコンテンツというものはなつかしの番組なんてものがテレビでやるのだから 多くの人が懐かしがるものだろう。
しかし私はそういったものを見ても懐かしいと思ったり、その当時のことを思い出したりすることがない。
ファイナルファンタジー7についてはプレイしたので大体の大筋はおぼえているし、 涼宮ハルヒの憂鬱についてもアニメを視聴し原作も読んだのでどういった話があったかはおぼえている。
しかし、内容はおぼえているのに経験したという感覚がないのだ。
また、面白いからプレイしたり視聴したりしたはずだがその時の感情というものを思い出せない。
情報そのものをオーバーテクノロジーで頭の中に流し込まれた。
と言われても納得しそうになるくらいだ。
自身が経験し、最近話題になったコンテンツについてのみ書いたが、他のものでも変わらず、今に始まったことでないのでずっと疑問に思っている。
2つ目について
こちらについては具体的な事例については書かないが世間で話題になった事件や災害の被害者に多量に献花があったり、加害者に対して厳罰を求める声なんかを聞くと
「なんで死んでから生きていたことを知ったような人に対してそんな気持ちをもてるのだろう。」
と思ってしまう。
上記のことを母親に聞いたら
「みんなでそういった気持ちを共有したいんでしょ」
のようなことを言われたのだがその言われたことも理解できなかった。
こんなことかいたら中二病とか言われそうだが中二病だったら母親には聞いたりしないと思うので中二病ではないはずだ。
その結果どうなったか
この二つが原因かはわからないが人間関係が希薄だ。 幼稚園入園前に今住んでいるところに引っ越してから一度も引っ越しをしてないがずっと付き合っているという人は一人もいない。
また学校や職場が変わるたびに人間関係はリセットされている。つまりそこに所属していた時は仲良くしていても所属が外れたら一切の関係がなくなっている。
今更再び関係を持とうなんて思わないし、また関係が切れないようにしようと思うこともあるが無理だということは直近の経験で理解している。
なんでこんなこと書いたのか
書きたかったから
人と違う事は素晴らしいということをよく聞く。それは特別な才能を持って普通では達成できない偉業を達成した人たちを見ていたらそう思うだろう。
違うことは素晴らしい、個性だと言える人はそういったポジティブな面しか見ていないのだろう。
しかしネガティブな方向に人と違うことだってある。ここで書いた2つの事はネガティブな方向だと思っている。
たとえば皆が悲しんでいるところで
「今まで生きていることを知らなかった人が死んで何が悲しいの?」
なんて聞いたらフルボッコの上ネットに晒されムラハチにされて家の壁に落書きされるだろう。どうなるかは分かっているので聞くことないが。
人が死んだら悲しいから葬儀などの場に呼ばれたら悲しみを持っているように振る舞う、慰霊の場では悪ふざけしない、たくさん人が死んだり悲惨な事件が起こった時はどこに地雷があるかわからないから言及を避ける、など知識によってそれっぽく振る舞ったりはできるのでそういった場で致命的な間違いを犯すことはないと思う。
ただ
- 懐かしいと思うこと
- 関係ない人が事故や事件で亡くなった時にその亡くなった人に対して同情すること
これがなぜできないのかが知りたい。