犬がいる

……犬がいる。

家には犬がいるんだからいたって問題ない。問題なのは飼っている犬とは全く違う犬種なことだ。

犬種についていちいち書く必要は無いだろうからわざわざ書かない。どうやって部屋に入ったかもこの際無視しよう。

問題なのは鶴の恩返しのごとくあなたに助けてもらった犬ですと言わんばかりの顔でこちらの寝姿を覗いているところだ。今にも愛情表現として顔をなめてきそうである。

そんなこと思っていると声がした。部屋にいきなり犬がいたんだ。声がしたくらいでもう驚かない。

「私は先日助けていただいた蜘蛛です。」

……蜘蛛かよ。

これには流石に驚いた。こういう場合はだいたい人間の姿でくるものだろう。よりによって犬なのか。あと蜘蛛を助けた記憶なんてここ数日まったくない。

「人間は戸籍の用意が大変なのです。それに比べて犬ならそこらへんがアバウトなので。」

流石に現代に生きるだけある。人間社会をよく学んでる。蜘蛛は何十年も生きると妖怪になるというがここまで知能や洞察力があるなら納得できる。

だがなぜ犬なんだ。それならネコだってよかったじゃないか。ネコには登録制度がないんだからもっとアバウトだぞ。

「あなたは犬を飼っているでしょう。なので犬好きだと考えたからです。」

こちらの疑問の回答を完璧に用意している。犬をこれまで3頭飼っていたので犬好きだと言えるだろう。ただ一つ疑問がある。なぜその犬種なんだ。

「ある程度大きな犬がいいとかとおもいましたので。お気に入りませんでしたか」

大きな犬は好きだしその種は飼ったことがないので飼ってみたい気もする。ただ昔飼っていたのが嫌っていてそれを思い出して辛い。

「そうでしたか、それはもうしわけないことをしました。」

反省している。その仕草、頭を下げ耳と尻尾を閉じ眼は上目遣いでこちらをみる、まさに犬のしぐさだ。こちらも言い過ぎたかと思ってしまう。

それに犬を飼う余裕が今はないんだ。家族にも反対されてしまう。

「しかしお礼がしたいのです。」

なかなか強情である。何か納得できる材料を示さないと帰ってくれないだろう。

久しぶりに大きな犬を間近でみれた。それだけで十分嬉しい。それに無意識に助けたんだからこれくらいで充分だ。

納得してくれるだろうか。

「わかりました。」

納得してくれたようだ。

「では最後に」

そう言うと頬を舐めてきた。舌の感触、体温、かかる吐息、すべて犬の感触だ。

「とても楽しい時間を過ごせました。さようなら」

そう言うとふっと消えた。今更犬が消えたことには驚かないが少しさみしい。

一体何だったんだ、今のは。

そう思いながら目を開けるとそこには見慣れた天井が広がっていた。

まぁ夢だよな。蜘蛛を助けた記憶なんて無いもんな。

そう思いあたりを見回すとベッドサイドテーブルの上に小さな蜘蛛の亡骸があった。 その亡骸をティッシュで包むと埋めるために外へ向かった。