楽しいことが思い出せない

去年長年飼っていた犬が死んだ。

12年近く飼っていてほとんどの世話を母がやっていたけど散歩だってしたし写真も撮った、一緒に海にも行った。こちらも愛情を持っていたし相手も好いていてくれたと思う。

亡くなった当日はもう動いている姿を見れないんだと思い哭いた。

これを書いている時(正確に言うと前日のエントリを書いている時)にふと思い出したが思い出した姿が亡くなり火葬する前の生命活動が停止し腐敗が始まり耐えられない臭いを放つ姿だった。そしてその時に感じたあんなに愛情を持っていたのに腐敗した程度で拒否感を持つのかという自分の中のある種の絶望だった。

そしてこれは薄々感じていたのだが自分にとって不利益がない限りどんな悲劇でも悲しくないのだと確信した。

だから感情がイワシの大群のように同じ方向へ向かわないといけない今を生きるのがしんどい